田中康夫の新ニッポン論

17/3月号 田中康夫の新ニッポン論㊺「クリエイティヴ・コンフリクト」◆月刊VERDAD-ベルダ

17/3月号 田中康夫の新ニッポン論㊺「クリエイティヴ・コンフリクト」
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日本航空はJL、日本ヘリコプター輸送を前身とする全日本空輸はNH。航空会社には2レターコードと呼ばれる符牒(ふちょう)が国際航空運送協会IATAから付与されています。ブリティッシュ・エアウェイズはBA。嘗(かつ)ては「Bloody Awful=ブラッディ・オーフル」と冷笑されていました。血を見るほどに恐ろしい官僚主義なサーヴィスの国営企業だと。
マーガレット“鉄の女”サッチャーは1983年、赤字続きのBA社長に当時50歳のコリン・マーシャルを指名します。18歳でクルーズ客船のパーサーに。その7年後にレンタカー会社ハーツに転職。同社英国総支配人を経て、同業のエイビスに31歳で転じ、欧州地域支配人兼副社長から米国で社長、会長へと上り詰めた人物です。
定時運航も儘(まま)ならぬBAにコスト・カッターがやって来たと社内の多くは当初、身構えます。その彼は以下の所信を表明。
「CRS(コンピュータ)を通じて全世界の人々が瞬時に、希望する座席の場所すら予約可能な航空業界は、高度1万メートルの上空を何百人もの人々を乗せて、他の乗物よりも早く送り届けるハイテクニークな存在だ。けれども、機内ではコーヒーを客室乗務員が一人ひとりの搭乗客に手渡しする。それは決してローテクニークなのではなく、価値観、理想、感情を持つ人間相手の、ハイクオリティな体温を感じさせるサーヴィスなのだ」。
運航・接遇・整備・営業等の異なる職場から年齢・地位を問わず30名ずつ招くブレーンストーミングに彼自身も時には出席し、米国勤務中の経験を踏まえ、「家畜を運ぶかの如きサーヴィスでなく、自分は遇されていると感じる瞬間を提供出来れば、幾何(いくばく)かの付加料金(プレミアム)を支払う事を顧客は厭(いと)わない」と語り掛けます。
「グローバルでありながら家庭的な雰囲気の」高評価・高収益・高利潤な「Better Airline」へと変貌を遂げたBAは、弁護士出身の新たな経営者の下で今度は効率至上主義へと陥り、再び疲弊していくのですが、会長に退いたコリン・マーシャルは1996年、『ハーバード・ビジネス・レヴュー』誌で「クリエイティヴ・コンフリクト」の重要性を語っています。
「顧客が手紙や電話で知らせてくる前に、問題が起きたその場で対処する事が期待されている」。「従業員、即ち我々の誰もが何時も正しいとは限らない。顧客の問題を解決する努力をしないよりは間違いを犯す方がマシであるとの認識に立ち、マネージャーには、従業員の判断に誤りがあっても、厳しく咎(とが)めてはならないと言っています。判断がなぜ間違っていたのか、正しい判断は何かを説明して、従業員が同様の状況にあっても、次回からは正しい判断が下せるようにして欲しいのです」。
伝達手段にメール等が含まれていないのが20世紀を感じさせますが、とまれ彼は路線毎に、空港毎に、更には機種毎に担当するマネージャーを任命し、一つのトラブルに横串、縦串、傾(ななめ)串を挿して改善する方策を取り入れます。コンフリクトとは本来、衝突や対立。対してクリエイティヴ・コンフリクトとは創造的葛藤。
「私は、ここに送り込んでくれた国民に対して説明する義務がある。あなた方に求められているのは、ゴマをする事ではない。目の前の事象に懐疑的であり続ける事だ」。最後の大統領会見に於けるバラク・オバマの述懐です。
「ポスト・トゥルース」なフェイクニュースが指弾される一方で、キュレーションサイトと称するステルスマーケティングが「メディア」を装い、行政や企業の「発表資料」をペーストした「横並びフォロー取材」が幅を利かす昨今、単なる粗探しや責任追及に留まらぬ創造的葛藤としての「調査報道」の気概が求められています。

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★参考資料「コリン・マーシャルに言及した過去の発言」

「東京ペログリ日記’94~’95 震災ボランティア篇」1995年7月3日
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