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VERDAD「田中康夫の新ニッポン論」Vol.125「石原慎太郎翁」

「アメリカって国は好きで嫌いで、学ぶ所も沢山有るけど、アメちゃんだけを頼りにしたら、とてもじゃないけど日本は立っていけないよ」

「僕は若い時に『待ち伏せ』って小説を書いた。ヴェトナム戦争の前哨地(アウトポスト)の体験記。その時に絶対に勝てないと思ったね。この戦争にアメリカは」

「欧米の白人がイスラム圏を支配し、収奪してきた悪業に対する歴史の一種の報復が始まっている。白人社会キリスト教圏は絶対に勝てない。勝てない事は確かだな。そうなると世界の均衡はどういう風に乱れていくか」

「もはや戦後ではない」と『経済白書』が謳った昭和31年生まれのYa’ssyと同じ一橋大学の出身。些か粗野な物言いが数多くの波紋も呼んだ昭和7年生まれの石原慎太郎翁。

「富国強兵」🆚「富国裕民」と一見対極に捉えられがちだった2人が、実はジャズとクラシックにも似た「通奏低音」を奏でていた点を、フジテレビ『報道2001』を始めとして幾度か対論を繰り広げた発言の再録で活写する第一弾「田中康夫の新ニッポン論」Vol.126「石原慎太郎翁①」

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「アメリカって国は好きで嫌いだからね。学ぶ所も沢山有るけど兎に角(とにかく)66年間、敗戦を終戦と自分でレトリック(巧言こうげん)してさ、良好な日米関係って名目で、どれだけアメリカの妾(めかけ)として収奪されてきたか。『閉された言語空間占領軍の検閲と戦後日本』で江藤淳が大事な告発をしている」。

東日本大震災4ヶ月後の2011年7月22日、石原慎太郎氏は都知事会見で持論を披瀝(ひれき)します。

「僕は若い時に『待ち伏せ』って小説を書いたんだ。ヴェトナム戦争のアウトポスト(前哨地ぜんしょうち)での非常に怖い思いの体験記だな。その時に絶対に勝てないと思ったね、この戦争にアメリカは」。

2003年、ジョージ・W・ブッシュ率いるアメリカ主体「有志連合」は「イラクの自由作戦」を掲げて軍事介入するも「大量破壊兵器」発見には至らず、サッダーム・フセイン処刑後も戦闘続行するも、バラク・オバマ政権で引き続き国防長官のロバート・ゲーツがイラク側の治安部隊訓練に重点を移す「新しい夜明け作戦」への方針転換を発表。2011年末にイラクから完全撤退。その半年前の会見で石原翁は預言(よげん)しています。

「オバマは韓国から兵隊を引き揚げるでしょう。イラクからも。当然ですがアフガニスタンは削減するね。その後、世界の均衡がどういう風に乱れていくか。僕は、イスラム圏を(欧米の)白人が支配し収奪してきた、その悪業に対する歴史の一種の報復が始まっていると思いますね。それに対して白人社会キリスト教圏は絶対に勝てない。しかしイスラムが勝つかと言ったら、そうも私は言えない。しかし白人が勝てない事は確かだな。そうなると世界の均衡はどういう風に乱れていくか」。

更に六年前の2005年7月10日、73歳の石原氏と49歳の僕はフジテレビ『報道2001』で80分間の対論を行います。米ソ間で埋没し勝ちな欧州の存在感を高め、盟主たらんと指導力を発揮したシャルル・ド・ゴール。その偉業に学び、米中の狭間に浮遊する日本を日本たらしめ得る政治家(ステーツマン)は翻(ひるがえ)って一体、何処に居るのかと。

彼はサミュエル・ハンティントン『文明の衝突』も援用(えんよう)しながら「日本はアメちゃんだけを頼りにしたら、とてもじゃないけど立っていけないよ」と看破(かんぱ)。

世界各地での戦争・紛争こそが最大の公共事業と嘯(うそぶ)くアメリカの所業に対する曰く言い難き(いわくいいがたき)日本国民の戸惑い(アンビヴァレンス)を、「嫌米(けんべい)」なる惹句(じゃっく)で湾岸戦争時に表現した僕は、相方が歩むべき道を見失っている時には「親米・反米」「属米・嫌米」の不毛な二項対立(センチメント)を超えて臆せず諫言し助言する「諌米(かんべい)」の心智(メンタリティ)を持ち合わせてこそ、富国裕民の国民益を日本に齎(もたら)すと述べました。

「なぜ、知事になったのですか」と両者に問う記事の「朝日新聞」に掲載は翌2006年4月10日。

「国会にいたんじゃ、何も出来ないから」と答えた彼は、「まぁ東京ならね、総理大臣と違って色々な事が出来るだろうと思った」と呟き、「国が動かないなら、こっちが先にやってやる」と決め台詞を吐きます。

自らを「オバちゃん感覚なの」と語る僕は、「より社会貢献出来る場所だと思ったから」と答えています。相手が望んでいる事は何なのかを的確に捉え、迅速な決断と行動が求められる行政こそは、プロフェッショナルなヴォランティア精神なのだと。

「四半世紀を隔てて若者像を小説で切り取った目立ちたがり屋の二人が奇(く)しくも知事の座にあり、分権が進む時代の住民意識の変化を映し出す存在として自分の言葉で政治を語り、旧来型の価値観も手法も押し潰してきた」と締める記事とは裏腹に、石原翁をしても実現不可能だった「横田空域」のニッポン返還。次号に続きます。

参考資料

2006年4月10日付「朝日新聞」

「ニッポン 人・脈・記」「国より先にやってやる」 石原慎太郎・田中康夫

http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200604100104.html

 

2011年7月22日 東京都知事会見

https://www.youtube.com/watch?v=NBvUfZM7GPI

 

「田中康夫の新ニッポン論」

Vol.100「全体の奉仕者」

https://tanakayasuo.me/archives/31610

Vol.106「オバちゃん感覚」

https://tanakayasuo.me/archives/33414

Vol.114「『流通』と『配給』」

https://tanakayasuo.me/archives/36631

Vol.118「ウルトラ無党派層」

https://tanakayasuo.me/archives/36848

 

江藤淳(江頭淳夫)さんにも言及している「40年後のなんとなく、クリスタル」まとめサイト

https://tanakayasuo.me/archives/35885

『待ち伏せ』に関する論考

https://note.com/hidari_p/n/n7d501d7521a5

 

「田中康夫の新ニッポン論」バックナンバー

https://tanakayasuo.me/archives/category/verdad

 

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