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VERDAD「田中康夫の新ニッポン論」Vol.126&Vol.127「石原慎太郎翁」

「アメリカって国は好きで嫌いで、学ぶ所も沢山有るけど、アメちゃんだけを頼りにしたら、とてもじゃないけど日本は立っていけないよ」

日独伊「敗戦3ヶ国」ながら、ドイツとイタリアは米軍基地の管理権と制空権を全面的に回復。日本だけは未だに1都9県に及ぶ広大な空域の航空管制を在日米軍司令部が握り、羽田に向かう航空機が渋谷区の安倍晋三邸、麻生太郎邸の上空を飛び交う「戦後」状態。

1999年の都知事選立候補時に「管制空域返還」と横田基地の「軍民共用化」を公約に掲げた石原慎太郎翁。就任後も都議会本会議で、自由民主党のみならず日本共産党の都議にも在日米軍基地の「理不尽な状態」を改める決意を答弁。

にも拘らず、「リベラル媒体」を含む「誤送船団」記者クラブは黙殺し続けた「属米国家」ニッポン。

「僕は若い時に『待ち伏せ』って小説を書いた。ヴェトナム戦争の前哨地(アウトポスト)の体験記。その時に絶対に勝てないと思ったね。この戦争にアメリカは」

「欧米の白人がイスラム圏を支配し、収奪してきた悪業に対する歴史の一種の報復が始まっている。白人社会キリスト教圏は絶対に勝てない。勝てない事は確かだな。そうなると世界の均衡はどういう風に乱れていくか」

「もはや戦後ではない」と『経済白書』が謳った昭和31年生まれのYa’ssyと同じ一橋大学の出身。些か粗野な物言いが数多くの波紋も呼んだ昭和7年生まれの石原慎太郎翁。

「富国強兵」🆚「富国裕民」と一見対極に捉えられがちだった2人が、実はジャズとクラシックにも似た「通奏低音」を奏でていた点を、フジテレビ『報道2001』を始めとして幾度か対論を繰り広げた発言の再録で活写する第一弾「田中康夫の新ニッポン論」Vol.126「石原慎太郎翁①」 第二弾Vol.127「石原慎太郎翁②」

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石原慎太郎氏が東京都知事選挙に66歳で立候補した1999年4月、在日米軍司令部が位置する横田基地=ヨコタ・エア・ベースの「管制空域返還」と「軍民供用化」を公約に掲げました。

が、四半世紀を経ても猶、関東・中部・東北1都9県(東京・神奈川・埼玉・栃木・群馬・新潟・長野・山梨・静岡・福島)に及ぶ広大な空域の航空管制は在日米空軍司令部が握り、国内外の民間機は許可無く飛行出来ません。

と申し上げるや茶々が入るやも知れません。東京五輪開催に先立ち2019年1月、東京国際空港=羽田の発着枠を増やすべく民間機が「横田空域」を一時的に通過する時間帯は日本側が管制を担う基本合意を発表しているだろと。

然(さ)れど好事魔多し。年間4万回の発着枠増設に伴い、日本国宰相を務めた渋谷区富ヶ谷の安倍晋三邸、神山町(かみやまちょう)の麻生太郎邸の真上を朝昼晩、着陸機が飛行する事態に陥っています。「離陸後3分、着陸前8分」は航空事故が多発する「魔の11分間=クリティカル・イレブン」にも拘らず。

而(しか)して「戦争・紛争こそ最大の公共事業」と嘯(うそぶ)く歴代米国大統領は横田基地からヘリコプターで、「赤坂プレスセンター(ハーディー・バラックス)」なる符牒(ふちょう)で知られる在日米陸軍が管理する港区六本木の敷地に降り立ち、駐日米国大使館向いのホテルオークラ東京に宿泊するのです。

1945年10月発効の国際連合憲章の正文は英語、仏語、露語、中国語、スペイン語5カ国語。後にアラビア語も国連公用語に加わる一方、日独伊「敗戦3ヶ国」は未だ「戦後」を生きています。それが国連憲章という「宣言」、国連公用語という「契約」です。

とは言え、北大西洋条約機構NATO加盟のドイツとイタリアは、占領統治時代に配備された米軍基地の管理権と制空権を、補足地位協定に基づき全面的に回復。訓練を含む米軍の全ての行動は独伊両政府の主権下で統制される許可制となり、基地周辺の地方行政組織と公的協議を行う外交チャネルも米軍に義務付けています。

「日本にある米軍基地は治外法権。初めて横田基地に足を踏み入れた時、『日本人入るべからず』云々の看板の脇に、この基地の本籍はカリフォルニアのバンデンバーク基地と標示されていた。正にアメリカの領土なんです」

「そこで彼らが、詰まり本国自身が世界最大の二酸化炭素排出国でありながら京都議定書を批准せず、東京の真ん中で油を焚いて、空気を幾ら濁しても構わぬで済むものじゃ御座いません。今回、都は環境確保条例の改正で先駆的な制度を導入し、都民及び都内事業者に対して我々の負担で東京に於ける地球温暖化対策取組の強化を求めております。都内の米軍施設が東京都にありながら、その東京都の姿勢と逆行するみたいな事を敢えて行って許される訳はない。これは日本の外務省に腰を据えて、この

問題だけはキチッとしろと説得させようと思います」

石原翁は2005年3月2日、自由民主党所属議員の質疑に対し、「属国ニッポン」外交のヘタレ振りを東京都議会本会議で慨嘆。就任2ヶ月半後の1999年7月6日にも日本共産党所属議員に以下の答弁を行っています。

「横田基地で実施されているNLP夜間離着陸訓練は周辺住民の平穏で安全な生活を妨げる極めて重大な問題と認識し、都議会及び地元自治体等と共に連帯しながら中止に向け粘り強く対応する」

「基地の整理・縮小・返還を強く求め、(多摩市・稲城市に跨がる米軍レクリエーション施設の)「多摩サービス補助施設」の共同使用や即時返還も日本人とアメリカ人が共に使う方が妥当であり、且つ日米関係の為にも良好ではないかと思っております」

「誤送船団」記者クラブが絶えて報じぬ石原翁の至言です。

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「アメリカって国は好きで嫌いだからね。学ぶ所も沢山有るけど兎に角(とにかく)66年間、敗戦を終戦と自分でレトリック(巧言こうげん)してさ、良好な日米関係って名目で、どれだけアメリカの妾(めかけ)として収奪されてきたか。『閉された言語空間占領軍の検閲と戦後日本』で江藤淳が大事な告発をしている」。

東日本大震災4ヶ月後の2011年7月22日、石原慎太郎氏は都知事会見で持論を披瀝(ひれき)します。

「僕は若い時に『待ち伏せ』って小説を書いたんだ。ヴェトナム戦争のアウトポスト(前哨地ぜんしょうち)での非常に怖い思いの体験記だな。その時に絶対に勝てないと思ったね、この戦争にアメリカは」。

2003年、ジョージ・W・ブッシュ率いるアメリカ主体「有志連合」は「イラクの自由作戦」を掲げて軍事介入するも「大量破壊兵器」発見には至らず、サッダーム・フセイン処刑後も戦闘続行するも、バラク・オバマ政権で引き続き国防長官のロバート・ゲーツがイラク側の治安部隊訓練に重点を移す「新しい夜明け作戦」への方針転換を発表。2011年末にイラクから完全撤退。その半年前の会見で石原翁は預言(よげん)しています。

「オバマは韓国から兵隊を引き揚げるでしょう。イラクからも。当然ですがアフガニスタンは削減するね。その後、世界の均衡がどういう風に乱れていくか。僕は、イスラム圏を(欧米の)白人が支配し収奪してきた、その悪業に対する歴史の一種の報復が始まっていると思いますね。それに対して白人社会キリスト教圏は絶対に勝てない。しかしイスラムが勝つかと言ったら、そうも私は言えない。しかし白人が勝てない事は確かだな。そうなると世界の均衡はどういう風に乱れていくか」。

更に六年前の2005年7月10日、73歳の石原氏と49歳の僕はフジテレビ『報道2001』で80分間の対論を行います。米ソ間で埋没し勝ちな欧州の存在感を高め、盟主たらんと指導力を発揮したシャルル・ド・ゴール。その偉業に学び、米中の狭間に浮遊する日本を日本たらしめ得る政治家(ステーツマン)は翻(ひるがえ)って一体、何処に居るのかと。

彼はサミュエル・ハンティントン『文明の衝突』も援用(えんよう)しながら「日本はアメちゃんだけを頼りにしたら、とてもじゃないけど立っていけないよ」と看破(かんぱ)。

世界各地での戦争・紛争こそが最大の公共事業と嘯(うそぶ)くアメリカの所業に対する曰く言い難き(いわくいいがたき)日本国民の戸惑い(アンビヴァレンス)を、「嫌米(けんべい)」なる惹句(じゃっく)で湾岸戦争時に表現した僕は、相方が歩むべき道を見失っている時には「親米・反米」「属米・嫌米」の不毛な二項対立(センチメント)を超えて臆せず諫言し助言する「諌米(かんべい)」の心智(メンタリティ)を持ち合わせてこそ、富国裕民の国民益を日本に齎(もたら)すと述べました。

「なぜ、知事になったのですか」と両者に問う記事の「朝日新聞」に掲載は翌2006年4月10日。

「国会にいたんじゃ、何も出来ないから」と答えた彼は、「まぁ東京ならね、総理大臣と違って色々な事が出来るだろうと思った」と呟き、「国が動かないなら、こっちが先にやってやる」と決め台詞を吐きます。

自らを「オバちゃん感覚なの」と語る僕は、「より社会貢献出来る場所だと思ったから」と答えています。相手が望んでいる事は何なのかを的確に捉え、迅速な決断と行動が求められる行政こそは、プロフェッショナルなヴォランティア精神なのだと。

「四半世紀を隔てて若者像を小説で切り取った目立ちたがり屋の二人が奇(く)しくも知事の座にあり、分権が進む時代の住民意識の変化を映し出す存在として自分の言葉で政治を語り、旧来型の価値観も手法も押し潰してきた」と締める記事とは裏腹に、石原翁をしても実現不可能だった「横田空域」のニッポン返還。次号に続きます。

参考資料

2006年4月10日付「朝日新聞」

「ニッポン 人・脈・記」「国より先にやってやる」 石原慎太郎・田中康夫

http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200604100104.html

1960年1月19日にワシントンD.C.で締結された「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」が60年以上も「改定」されていない惨状に言及した拙稿「平成風景論『法治国家』ニッポンの宿痾」「サンデー毎日」2019年2月3日号

https://tanakayasuo.me/wp-content/uploads/2019/01/b31e8838b46c44b20a785e42f82dcb19.pdf https://tanakayasuo.me/heisei#shukua

 

米軍基地に関する石原慎太郎都知事の都議会に於ける発言議事録 https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/base_measures/tiji/ishihara_tiji/kiti.htm

 

FCLP米空母艦載機着陸訓練に関する東京都と周辺市町の取り組み https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/base_measures/nlp/NLP.htm

NLP夜間離着陸訓練に関する町田市のHP https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/kankyo/kankyo/minomawari/souon/joukyou/nlptoha.html

 

在日米軍多摩サービス補助施設(多摩レクリエーションセンター)とは https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%91%A9%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9%E8%A3%9C%E5%8A%A9%E6%96%BD%E8%A8%AD

 

戦後70年間 首都圏に残る米軍の“占領状態” 大前研一氏

https://www.ohmae.ac.jp/mbaswitch/_komethod-15/

2011年7月22日 東京都知事会見

https://www.youtube.com/watch?v=NBvUfZM7GPI

 

「田中康夫の新ニッポン論」

Vol.100「全体の奉仕者」

https://tanakayasuo.me/archives/31610

Vol.106「オバちゃん感覚」

https://tanakayasuo.me/archives/33414

Vol.114「『流通』と『配給』」

https://tanakayasuo.me/archives/36631

Vol.118「ウルトラ無党派層」

https://tanakayasuo.me/archives/36848

 

江藤淳(江頭淳夫)さんにも言及している「40年後のなんとなく、クリスタル」まとめサイト

https://tanakayasuo.me/archives/35885

『待ち伏せ』に関する論考

https://note.com/hidari_p/n/n7d501d7521a5

 

「田中康夫の新ニッポン論」バックナンバー

https://tanakayasuo.me/archives/category/verdad

 

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